私たちは2017年の北部九州豪雨で被災してしまいました。
それでもあきらめずに日本山人参を作り続ける理由をお話します。
祖父、父、娘の3代にわたる日本山人参に込められた想いをこのページに込めました。
日本山人参との出会い
わたしの父が日本山人参に出会ったのは12年前。
祖父は末期の白血病になって抗がん剤治療で苦しんでいました。
そんな時、父は知人から日本山人参がガンに良いと聞き、祖父にも飲んでもらいました。すると祖父は食欲を取り戻して徐々に元気になり、なんと奇跡的に寛解できたのです。
完治してから12年経った今も祖父は元気に農業をしています。
日本山人参の栽培を開始
わたしの父は、祖父の病気が治ったことから、日本山人参のすばらしさに気づき、
「より多くの方に日本山人参で健康になってもらいたい!」
と想い、2007年に日本山人参をつくり始めました。
12年かけて美味しい日本山人参茶を完成
日本山人参はえぐみがあります。父はどうにか美味しく飲めないものかと研究し続けました。
安心、安全を大切にしているので、もちろん農薬や化学肥料はつかっていません。
さらには土づくりのために、野菜やフルーツの酵素をたっぷり使っているんですこだわりの日本山人参はどこにも負けないと父は自負しています。
栽培のこだわりについて、詳しくはこちら
2017年7月7日 北部九州豪雨で被災
2017年の北部九州豪雨。朝倉には1日で1年分の大雨がふり、周囲の山がくずれて流木がおそってきました。
山は土砂や流木でこわされ、畑にたどり着くこともできなかったので、とても農業を続けられる状況ではありませんでした。
手入れに行くこともできず、草も生えて荒れてしまった畑。
父は日本山人参づくりを諦めかけていました。
お客さまがボランティアに
しかしそんな時、たくさんのお客様が畑にきて土砂のかたづけや草とりのお手伝いしてくださりました。
そして、日本山人参作りをあきらめないで!と父を励ましてくださりました。
父は途方にくれていましたが、お客さまのお役に立てていたことを感じ、
「日本山人参の魅力をもっと多くの方に知ってもらいたい、諦めるわけにはいかない!」
と思うようになりました。
父と娘の想い
娘であるわたしは東京で看護師をしていたのですが、実家が被災したことを聞き、休みを取って復興支援のために帰りました。
「自分の貯金を両親にあげて、父には新しい仕事を探してもらおう」
なんて思っていたのですが、父にそのことを話すと、
「おれは日本山人参と心中する覚悟だ!」
おどろいた私は父に理由をたずねると、
父は日本山人参への想いや、ボランティアに来てくださった方のことを熱く語りだしました。
こんなに熱い父をみたのは初めてで、自分でもおどろくほどその内容に引きこまれていきました。
看護師を辞めて日本山人参ひとすじに
わたしは両親の復興のために、日本山人参をオンラインショップで販売することにしました。
その頃のわたしは東京で看護師としてはたらくなかで、「病気の患者さんをみるよりも、病気になる前に予防できる人を増やしたい」と思うようになっていました。
そして日本山人参のことを知れば知るほど、「このお茶を知ってもらって、多くの方に健康になってほしい」と思うようになっていったのです。
ついには看護師をやめて日本山人参ひとすじに活動をすることになりました。
2017年11月 よりあいファーム結成
被災したことで悲しいことやつらいこともたくさんありましたが、それをきっかけに私たちは新たな一歩をふみだすことができました。
お客さまに支えていただいたおかげで、あきらめずに日本山人参を作りつづけることができています。
応援してくださるお客さまに本当に感謝しております。
復興のためにたくさんのお客さまが畑に集まってくださったので、「よりあいファーム」と名づけました。
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